【心の自由?】それってどういうこと?

不幸の3要素
人には様々な不幸があります。不幸の3大要素は【お金・人間関係・仕事】の3つ。この3つのうち2つが満たされていれば多くの方は幸せだと感じます。
ですが、1つしか満たされていなかったり3つとも満たされていないなら、不幸感覚が強くなります。
世の中には、ハッピーな人がいる反面、いつもアンハッピーな人もおられます。人間として生まれたら、幸せになりたいと願うのは共通の願いでしょう。
ここに、自分で自分のご機嫌をとり、いつもハッピーでいようと努力する人がおられます。一方で、周りの言動に左右され、
- ある時はハッピー
- ある時はアンハッピー
と、環境や相手など条件によって心が安定しない人もおられます。
生きていく上で、いい事ばかりが続くというのは妄想でしかなく、順風の時もあれば逆風の時もあります。
・順風の時は感謝し
・逆風の時はどのようにして心を平静に保つかが大事になります。
な〜んて、偉そうに書きました。私が、こんな風に思えるようになったのは50代半ばからです。失敗したり成功したり、行動する事で試行錯誤を経て、何十年も生きてきて、、ようやくそういう心境に達しただけ。
きっとどなたも、経験を経、多く生きていれば同じようなことに気づかれるのではないかと思います。
一念三千
仏教の中興の祖、天台大師 智顗(チギ)の言葉に「一念三千」(イチネンサンゼン)という言葉があります。
「一念三千」とは、私たちの想いは3000通りもあるという意味と、とらえるとわかりやすいかもしれません。 ぶっちゃけていうと、同じ人でもいいことも思えるけど悪いことも思えるってことです。
確かに、1時間前にハッピーだった人でも、もし1時間後に自分の悪口を言われたら、相手を恨みたい気持ちになったりします。こうして心の針は、時計の12時方向をずっと向いているかというとそのようなことはなく、あちこちいろいろな方向を向いているよね。それを、いつも12時の方向(神様の方向)に向けよう!というのが「一念三千」に込められた天台大師 智顗(チギ)の 思想です。
神様は、人間に自由を与えてくださいました。何もかも自由だということは、人からは見えない私たちの心・想い・念の管理も自由だということです。
先日、個別相談に訪れた男性が、こんなことをおっしゃいました。
自分の台本には
- 「幸せになっちゃいけない」
- 「惨めな生き方をしよう」
と書かれていると思います。と、、、
その言葉を聞いた時、私は相当に苦労されたんだろうなと瞬間的に感じました。そして同時に、過去に私の講座を受講された女性を思い出しました。彼女は夫のDVで、2人の子供に苦労をかけたことをひどく気にしておられ、『自分は幸せになっちゃいけない』と思っていたと、私に話してくれたことがあったからです。きっと個別相談の男性もトラウマに近い何かがあるのだろうなと感じたのです。
私たちの多くは、『幸せになりたい』と思って生きています。なのに、、、
- 「幸せになっちゃいけない」
- 「惨めな生き方をしよう」
だなんて、悲しすぎます。ご相談の方も、今現在の生活はというと、、、心で想った通りの不幸で、惨めな生き方をしていると言っておられました。でも、心のどこかでは幸福になりたくて、私の個別相談を申し込まれたと思うんです。
神様は『幸せになってほしい』と願っている
個別相談終了後いろいろ考えていて、同情はするものの、、、やはり、
・「幸せになっちゃいけない」
・「惨めな生き方をしよう」
と思うのは間違っていると思うというのが私の結論です。だって、私たちが地上に生まれられた理由は、神様が
「そのあなたでいいよ」
「そのままのあなたで頑張りなさい」
と言ってくれたからだと私自身が信じているからです。
神様が『そのままのあなたを愛しているから、地上で頑張って修行してきなさい』と、あの世で稟議書にバ〜ン!と認可印を押してくれたから、私たちは地上に生まれることができたのです。(なんの科学的根拠もありません。ですが、なんとなくそう感じるのですから仕方ありません。><;)
とすれば、やはり自己責任として【幸せになる義務】があります。
人間として生まれたからには幸せになる義務があると決める!
あなたに、私の価値観を押し付ける気はないけど、少なくとも私は、幸せになる権利を主張するのではなく、今世を生きる許可を与えてくれた神様に対して幸せになってみせる義務はあると思います。
あなたはどう考えますか?