私がこの道に進もうと決めたきっかけ(1)

福島の知人の結婚式に出席して思い出したことがある。
むか〜し昔の若かりしころの一コマだ。
自己卑下
結婚を前提につき合っていた彼が言ったこと。
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「なんでそんな風に思うの?」
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その顔は、とても寂しそうだった・・・
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でも、そんな顔をする彼の心の内が、私には全くわからなかった。
結婚を迫る彼に
「私のどこがいいの?」
「鼻は低いし、ブスだし、スタイルも良くないし・・・」
それを聞いて、彼は本当に寂しそうだった。
彼は、私の全てを受け入れて「いい」と思ってくれた。
それなのに当の私ときたら、自分の外見を自分の価値基準に合わせて判断して勝手に自己卑下していた。
もっと言えば「どうして私はこんなに醜く生まれてしまったのだろう」「おまけにこのデブに分類される体重!」
自分の容姿を呪いたくなるほど嫌いだった。
彼にすれば、自分が可愛いと思っている人のことをその本人から全否定されてしまった形だ…
自分が真剣につき合って『自分が選んだ彼女こそ最高の人!』と思いたい彼の気持ちを、私はズタズタに引き裂いたのだ。
何十年も経って、初めて彼のそのときの気持ちがわかるようになった。
誰も、芸能人のような美人さんを求めているわけではない。
つきあいの中で、きっと彼は鏡には映らない、私の良さを発見してキレイに見えていたのだろう。
なのに、その頃の私は鏡に映る自分が全てだと思っていた。
「心」なんてまるで見えていなかった。
心が大事なんて古臭い
ううん、正直に告白すれば「心が大事」という親の意見を古い臭い考えとして一蹴していた。
今思うと本当に恥ずかしい。
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時が流れていく。
母の急逝
私が32歳のとき母が急逝した。
そのあたりから「心」や「見えない世界」について想いを馳せるようになった。
だって、昨日まで会話していた親が、死を境に今日は何を言っても返事一つ返ってこないなんてどういうこと?
いきなりの死を、どうしてもどうしても受け入れることができない父と私。
父は怒りをぶつけまくり、私は押し黙って堪えるしかなく陰で泣く日が1年半も続いた。
人生って一体何?
私は悩んでいた。
「人生って一体何?」
「なんのために生まれてきたの?」
「死んだらどこに行くの?」
だんだんと心の世界を見つめていくうちに「親子の関係だって、彼との関係と同じなんだ」と気づいた。
自分が愛してほしい時に、望む形の愛し方はできなくてもいつも娘のことを思っていた親。
それなのに、満たされなかったことにばかりに意識を向けて不幸を嘆く娘。
どんなに辛い親業だったことだろう。
今になれば、両親に本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
そして、本当は逆なのだ。
気づいてみると、真実はいつも逆のところにあるのだ。
親に感謝できない自分、逆恨みする自分だったから、彼にも感謝できずほめられても否定して返す自分だったのだ。
セミナーを始めよう
そんなことに気づいて周りを見渡すと、同じような人のなんと多いことか!!
自分のような不幸で遠回りする人生を送る人が一人でも減りますように!
人はそれぞれに幸福の形があることに気づけば、誰もが幸せになれることをなんとか知ってほしい、気づいてほしい。
そんなことを願って私のセミナーが始まったことを思い出した。
そして、新幹線はあっという間に終点…東京に着いた。
潜在意識にある台本を書き換えて、本当に人生を変革できるの?という方へ
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